某医療機関での日常

現代医科学恋愛ファンタジーというわけのわからないジャンルの創作文置き場。 小説というカタチを成していないので読むのにいろいろと不親切。たまにR18。 初めての方は「世界観・登場人物紹介」カテゴリを一読の上でお読みください。

ドイツにて

柏崎「え…」

(最終医科学研究所 ドイツ支部 ロビー)

柏崎「はい?」

雪「で、ですから、柏崎先生がお酒を飲まないように監視しろと…所長に言われて…」

柏崎「そ、そうですか」

雪「あの、泊まるのはあのフリューゲルホテルですよね?」

柏崎「そう…です…けど」

雪「同行させてください」

憧れの美女から願ってもいないお誘い。

柏崎は二つ返事でOKした。

しかし、行く手にはあまたあるビアガーデン。

雪「だ、だめですよ、お酒はダメです」

まるで懇願するかのように柏崎を見上げる雪。

柏崎は思った。

柏崎(役得だ!)

そして言った。

柏崎「紺野さんがそばにいてくれるなら、ビールは我慢します」

雪「よかった…」

柏崎「そのかわり、お側にいない時は遠慮なく飲ませていただきます」

雪「だっ、ダメですよ!お酒はダメですよ!」

柏崎「私にビールを飲ませたくなかったら、私から離れないことですね」

雪「はい!離れませんからお酒はダメですよ!」

柏崎は調子に乗った!

柏崎「それじゃ、ホテルも一緒の部屋ですね」

雪「えっ…」

柏崎「ルームサービスぐらいご存じでしょう?」

雪「うう~…」

この光景を同盟員が見たら激怒で噴火していただろう。

雪は困ったように笑うと、

雪「わかりました。ホテルも同じ部屋でお願いします」

と言った。

柏崎「え?」

柏崎は、耳を疑った。

雪「でっ、ですから!ホテルも同じお部屋で…お願いします…」

最後のほうは消えかかるような小声で、

それでも確かに言った。

柏崎「本気ですか?」

雪「本気です」

柏崎「ひょっとして酔ってませんか?」

雪「酔ってません!あ、ほら着きましたよフリューゲルホテル」

立派な玄関口、上等なホテルだ。

飛行機で言うならビジネスクラスと言ったところか。

柏崎は入り口で止まってしまった。

雪「あの、柏崎先生?」

柏崎「いや…その…本当に同室で…?」

雪「はい!同室で!」

柏崎「ひょっとして紺野さん、ヤケになってるんじゃ…」

雪「そんなことないですよ」

雪は困ったり急かしたり笑ったりと

顔面が忙しいことになっていた。

しかし、最後に見せた笑顔を、柏崎は信じることにした。

柏崎「では、ツインで部屋をとりましょう」

雪「はい!」

柏崎「紺野さん、なんだか張り切っているような…」

雪「そ、そんなこと、こ、これは任務です、はい」

柏崎「ですよね、あはは…は…」

フロントに着くと、柏崎は流麗なドイツ語でツインの部屋をオーダーしたが、

フロント係は微笑を浮かべて

フロント「当ホテルにはツインはありません。ダブルでのご案内になります」

とドイツ語で応えた。

柏崎が泡を食っていると、今度は雪がドイツ語で

雪「それではダブルでお願いします」

と言ってしまったのだ。

ーーーーーーーーーーーー

(フリューゲルホテル1018号室)

雪「なんだかすごいお部屋ですねえ…」

柏崎「わ…、私はここで寝ます」

柏崎はソファに腰掛けて言った。

雪はといえば、懸命に言葉を選んでいた。

雪「え…と…そ…の…」

柏崎「このソファなら余裕で眠れますから大丈夫ですよ」

柏崎(さすがに同じベッドで寝るのは…いや、そうしたいのは山々なんだが)

雪は思った。

雪(こんなチャンス二度と無いんだから…!!)

雪は柏崎に密かな好意を寄せていたのだ。

確かにまたとないチャンスである。

しかし、雪は処女だった。

処女なのである(二度目)

雪「あの!」

柏崎「はい?」

雪「あ…お…お、お風呂お先にどうぞ…」

柏崎「何か緊張してませんか?」

雪「男の人と一緒に眠るのは初めてなので…」

柏崎「そうでしたか…って、え!?」

雪「初めてなので……や、やさしくしてください…」

柏崎は余裕で深読みした!

柏崎(それって…ひょっとして…)

柏崎は生唾を飲んだ。

下半身はすでに戦闘態勢だ。

柏崎「あ、は、はい、それじゃお言葉に甘えまして…」

雪「ちょ、ちょっと待ってください」

柏崎「は、はい?」

雪「私がお風呂に入ってる間に、冷蔵庫のビール飲まないでくださいね」

柏崎は調子に乗った!

柏崎「では、一緒にお風呂に入りますか?」

雪「えっ」

柏崎「冗談ですよ。約束します。ビールは飲みません」

雪「本当ですか?信じていいんですか??」

柏崎「あの、ひょっとして所長に脅されてたりしませんか?」

雪「脅されたわけではありませんが、柏崎先生を厳しく見張れと…」

柏崎「なるほど、納得しました」

雪「なにを納得したんですか?」

柏崎「いや…紺野さんが一緒に寝たいなんて私に言うわけがないなーと」

柏崎は風呂をのぞきに行った。

部屋は豪奢だが、風呂はユニットバスだ。

二人一緒に入るのは窮屈だと判断できる。

雪「そんなにおかしいですか?」

柏崎「え?」

雪「私が柏崎先生と一緒に…寝るの…」

雪は顔が耳まで真っ赤に染まっていた。

雪は雪で興奮しているのである。

柏崎「おかしいかどうかは…他の人に訊かないと」

雪「他の人?二宮先生とか矢野先生ですか?」

柏崎「そうですね、私と紺野さんじゃ美女と野獣だと言われそうです」

雪は風呂をのぞき込んでいる柏崎のすぐ後ろに立っていた。

柏崎が振り向くと、

柏崎「うわっ、すいません!」

案の定ぶつかってしまう。

雪「大丈夫です…けど」

柏崎「けど?」

雪「柏崎先生はかなりのビール好きと聞いているので…正直なところ信用できません」

柏崎「……………」

柏崎(それはつまり、一緒に風呂に入ろうということか?)

洗面所で固まるふたり。

柏崎「ええと…」

雪「お…お……お背中流します!」

柏崎「すいません、ちょっとビンタしてくれませんか」

雪「えっ」

柏崎「ちょっと夢の中にいるみたいなんで」

雪「夢…?」

柏崎「現状が夢みたいで信じられません」

雪「現実です!ドイツでビールが飲めないのが悲しいことに現実なんです!」

柏崎「いや…どっちかというともうビールはどうでもいいというか…」

雪「?」

柏崎「ほ、本当に背中流してもらえるんですか?」

雪「も、もちろんです」

柏崎(しずまれ!しずまれオレの息子!!)

雪(柏崎先生と一緒にお風呂…!!)

結局ふたり一緒に狭いユニットバスに入ることになった。

とはいえ、洗うのは背中合わせだ。

少し窮屈だが、二人はそれどころではなかった。

雪「お、お背中洗いましょう」

柏崎「はい、振り向いてもいいですよ」

雪は振り返った。

雪「背中…大きいですね…」

雪は抱きつきたい衝動にかられた。

が、それをこらえてスポンジで洗い始める。

柏崎「ひ、ヒトに洗ってもらうと気持ちいいですね」

雪「これでも看護師ですから」

柏崎「いや、そういう意味ではなくて…」

雪はいつの間にか仕事モードになっていた。

雪「どこかかゆい所はありますか?」

柏崎「いいえ、どこも…」

雪「じゃ、シャワーで流しますね~」

そう言う雪の声は看護師のそれだった。

柏崎「なんだか患者になった気分です」

雪「そうですか?…きゃあ!」

柏崎「!!」

雪が泡で滑った拍子に柏崎に抱きついてしまう。

柏崎(この背中に当たってる柔らかい感触は…!!)

雪(どうしようどうしようどうしようどうs)

そんなこんなで大変な入浴を終えると、

雪「柏崎先生、私が着替え終わるまで洗面所から出ないでください」

柏崎「正確には紺野さんの髪が乾くまでですね」

雪「そ…そうですすみません…」

雪の髪は長い。世界が嫉妬するまっすぐな黒髪である。

雪はホテルのパジャマを着用すると、その長い髪にドライヤーをかけはじめた。

騒音で二人の会話が途切れる。

柏崎はその間、念入りにタオルで髪を拭いていた。

柏崎の髪は短いので、いつも自然乾燥だ。

タオルで拭くだけで、ほとんど乾いてしまう。

暇を持て余した柏崎は、鏡に向かって髪にドライヤーをかけている雪を見つめていた。

洗面所は広く、余裕で二人で立っていられる。

鏡はヒーターがついているので曇らない。

雪はドライヤーを一旦止めた。

雪「すみません、お待たせして…」

柏崎「構いませんよ」

柏崎は非常に目のやり場に困っていた。

美しい黒髪に夢中になってしまい、

他に見たいものなど存在しなかった。

雪は鏡越しに柏崎を見ていた。

つまり、二人は鏡の中で見つめ合っていたのである。

雪「すいません、ちょっと急いで乾かしたいのでお見苦しいと思います…」

柏崎「長いと大変ですね。大丈夫ですよ」

雪「では失礼して…」

髪をすべて前におろし、ドライヤーをかけはじめる雪に

柏崎「まるで貞子みたいですね」

と茶化す柏崎に

雪「それを言わないでください…//」

雪は恥ずかしそうに応じた。

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柏崎「では、私はここで」

柏崎が長いソファに横になると。

雪「ダメです!ソファのほうが冷蔵庫に近いじゃないですか、私がソファに寝ます」

柏崎「紺野さんをソファなんかで寝させたら二宮と矢野にボコられますよ私」

雪の携帯電話が鳴った。

雪「ちょっと待ってください…もしもし、紺野ですが…」

龍崎「やっほー☆ちゃんと柏崎先生と一緒に寝てる?」

雪「え…と…その」

龍崎「ちゃんと同じベッドで寝ないとダメよ?紺野さんが寝てる間にビール飲んじゃうかもしれないんだから」

雪「は…はい…わかりました…」

龍崎「こっちはまだ朝早いからまたね☆」

雪「お疲れさまです」

電話が切れた。

雪「機関長でした…」

柏崎「なんですか?」

雪「その…柏崎先生と同じベッドで寝るようにと…」

柏崎「は!?」

雪「いっ、嫌ですよねいきなり私なんかと…」

柏崎「いえ、違います、やっぱりビンタして下さい」

雪「はい?」

柏崎「どうも現実だと思えないので」

雪「そ…そうですか、それじゃ失礼して…」

雪は柏崎の頬にそっと手を触れた。

柏崎「ええと…」

雪「えいっ」

雪の指が柏崎の頬を軽くつまむ。

雪「目がさめましたか?」

柏崎「………はい」

結局その日はふたり、背中合わせでベッドに入った。

が。

雪(柏崎先生の顔を見ながら寝たい…)

雪は柏崎のほうに寝返りを打った。

それを関知した柏崎は、言った。

柏崎「…紺野さんって、オレのことどう思ってるんですか?」

雪「えっ」

いつの間にか一人称が「オレ」になっている柏崎だった。

雪「大きくて…逞しくて…やさしくて…ビンタが好きで…」

柏崎「最後間違ってます」

今度は柏崎が寝返りを打った。

キングサイズのベッドで二人向かい合う。

柏崎「紺野さん、オレが好きなのはビンタじゃなくて…紺野さん本人です」

雪「えっ」

柏崎「諸事情があって今まで言い出せなかったのですが、出張中の無礼講ということで許してください」

諸事情というのは、もちろん某同盟のことだ。

何人たりとも紺野にアプローチしてはいけない。

しかし、この夢心地の状態では同盟の存在などどうでもよかった。

柏崎(当たってくだけろオレ!)

雪「私も…」

柏崎「え」

雪は笑顔で。

雪「私も…柏崎先生が好きです」

かくして、二人は結ばれた。

しかし、出張にコンドームを持ってくるほど柏崎は用意周到でもないし、

告白を受けた初日に肉体関係をもつほど軽い男でもなかった。

しかし、これだけは。

柏崎「…キスしていいですか?」

雪「…はい……」

雪が瞳を閉じると、柏崎は

羽毛が触れるようなかすかなキスを贈った。

かくして、二人は結ばれた。

どんな障壁も越えてみせる。

柏崎は雪の寝顔にそう誓った。

初めてのデート パート1

完(こんなんで大丈夫なのかなあ…)

9月に入ったばかりの休日。

礼英に向けてハイブリッド車を走らせる完は

サマースーツで身を固めていた。

完(休日なのに…?)

しかし、着ていく服が思いつかなかったのだ。

これでも弟の妻…一応「妹」にアドバイスを受けたのだが、

優「迷ったらスーツ!」

と自信満々で言われたのだ。

受話器の向こうから「それは嫁の好みだろww」など聞こえたが、

「女性」の好みであることに違いはないのだろう。

無難といえば無難だが、完にとってスーツは通勤着だ。

完(失礼にあたらないのかな…)

と、主観をめぐらせていたのだった。

医療機関礼英 職員寮 ロビー)

ソファには、可憐な女性がひとり座っていた。

出勤時間帯を過ぎたロビーは静まり返っていて、

いつもとは違う空気を感じさせた。

鈴(こんなんでいいのかなあ……)

鈴もまた、完と同じことを思っていたのである。

しかし、鈴は看護士服を着ているわけではない。

ノーメイクでもない。眼鏡でもない。

その上、ロッソに見立ててもらった私服を着ていた。

膝上丈のワンピース。

鎖骨から手首にかけて黒いレースの袖があしらわれ、

胸から下は淡いベージュのプリーツ。

エストラインにはレースのリボン。

そして、その下は…

鈴(この年で生足とか…無茶だよ…)

生足なのである。

鈴(ミニスカじゃないだけマシかな…)

足元は、華奢なミュール。

ナースサンダルに慣れた足では少々歩きづらい。

鈴(コケそう…)

そんなことを考えていた待ち合わせ時刻の5分前。

ガラスの自動ドアの外に、黒い乗用車が現れた。

鈴(そういえばうさぎさんはどんな………え!?)

停車し、ハザードランプを点滅させている乗用車から

出てきたのは間違いなく待ち合わせの相手だったが

鈴(スーツ!!スーツ!!スーツだ!やったー!!)

間違いは、なかったのである。

問題は、完のほうだった。

完はソファに座ったまま心躍っている鈴に気づかず素通りした。

鈴「あっ、あの!あのっ…!」

完「?」

振り向いた完が見たのは、いつもの鈴ではなかった。

街を歩けばどこにでもいるような……

完「…その……どちらさまで……」

鈴「か…柏木です……」

完「すみません…一応訊いてみただけです…」

その割には、目の前を素通りしたのだった。

完(僕は馬鹿か…外に出るのに草餅さんが看護士服のはずないじゃないか…)

職場での姿を見慣れすぎた。

完の頭の中には、看護士服でノーメイクの鈴しかいない。

しかし、鈴の場合は違った。

鈴(妄想してたのよりずっとかっこいい!!)

鈴は完のスーツ姿を普段から妄想していたのである。

完「…とりあえずここを出ましょう」

鈴「はいっ」

ふたりは外に停められたハイブリッド車に乗り込んだ。

(某県 国道 完の車内)

車内には涼しい微風が満ちている。

控えめな音量でラジオがかかっていた。

鈴(し…静かすぎる…)

電力運転のため、エンジンの駆動音がしない。

完「すみません、こんな格好で来てしまって」

鈴「えっ?」

走行中。

フロントガラスから目をそらさないままで完が言う。

鈴から見るその横顔は、さほど表情の崩れもない。

完「何を着たら良いか迷って、優ちゃんに相談したらこうなりました」

鈴「さすが優さん!」

完「え?」

赤信号で停車した完は、耳を疑った。

鈴「え?いえその、とてもよくお似合いでっ!////」

完「そう…ですか」

完(スーツって誰にでも似合うように出来てるし…)

軽く自虐的な完だった。

というのも、助手席に座っている鈴が華やかすぎるからだ。

信号が青に変わり、車は静かに走り出す。

鈴「わ…私も着ていく服に迷って…」

完「とてもよく似合っています」

鈴「え…////」

完「似合いすぎて別人かと思いました」

鈴「そ、それは…どういう…似合いかたですか…」

完「看護士服で眼鏡の草餅さんしか見たことがないので」

鈴「わ、私も白衣のうさぎさんしか」

お互い様である。

鈴「でも…でもっ…」

完「はい?」

完が運転中で前方を注視しているのをいいことに、

鈴「スーツのうさぎさん、素敵です…」

鈴は思い切ったことを言うのだった。

完「…………父も浮かばれます」

鈴「え?」

完「これは父が着ていた物を仕立て直した物ですから」

鈴「あ……」

完と了の父、中畑 一は情技で亡くなった。

そのことは鈴も知っている。

鈴(お父さんの…形見…なのかな…)

鈴はあらためて完のスーツをよく見てみた。

完はきちんとスーツにおさまっていた。

というより、スーツが完に寸分違わず従っているのだ。

完「…すみません」

鈴「はっ、はい!」

完「このあたりだと聞いてはいますが、正確な場所がわからなくて…」

車は某県市街地に到着していた。

鈴(し、知ってるって思われたくないよぉ…)

鈴は葛藤していた。

以前、交際していた相手には自分の趣味は明かしていなかった。

羞恥心からのためらいがあったからだ。

完「情技の人なら誰でも知っていると弟が…」

鈴「あっ、はい!知ってます!次の信号を左です!」

完「えっ?あの路地ですか…?」

鈴「わかりにくい場所にあるんです」

鈴(私、情技のヒトだもん!それだけ、それだけ…)

完「こんな所、通ったことがな…」

鈴「あの交差点を右へ…」

完「はい…」

すでに市街地の大通りをそれて、入り組んだ路地。

完(長年住んでるけど、車でここまで入ったことはないなあ…)

狭い道路は当然のように一方通行だ。

鈴「そこの立体駐車場に停めてください…」

完「どこですか?」

鈴「えっ」

とうとう目的地についてしまうのか、と思いながら

うつむいていた鈴は前方不注意だった。

いつもの立体駐車場の前には

「点検中 ご迷惑をおかけしております」

 

という大きな看板が立てられていた。

鈴(だ☆い☆迷惑!)

鈴は歌いたくなった。

完「この近くですよね?」

鈴「は…はい…」

完「適当に停めましょう」

完は立体駐車場の向かい側のコインパーキングに車を寄せた。

鈴「すみません…」

完「いえ…それより、ちょっと教えてほしいことが」

鈴「え?」

完「あの障害物は踏み越えて良いのですか?」

鈴「障害物…?」

完「駐車場を横切るように、何か置いてあるのですが」

鈴「あ、はい、そのまま…」

完「……」

完は若干不安そうにしている。

鈴(なんでこういう時に限って誰も停めてないの!?)

なぜかガラ空きだったので、例示がないのだ。

鈴「えっと…車高を低くする改造とか…してなければ車が傷つくようなことはないので…」

完「アレは…何ですか?」

鈴「と、停めれば…わかります…」

完「そうですか…」

完(いったいなんだろう…)

鈴(うさぎさんの、初コインパーキング…)

完は左で何やらにこにこしている鈴をよそに、

そろそろと駐車スペースに車を入れてゆく。

平たい「障害物」をゆっくりと踏み越え、

完の車は駐車スペースに収まった。

完「…………」

外は暑い。

完は車のエンジンを切らずに、隣の駐車場を見ていた。

正確には、そこに置かれた「障害物」を見ていた。

完「…すみません、停めてもよくわからないのですが」

鈴「…あっ!と、停めて、車から降りないと」

完「え?」

完は首をかしげながら車のエンジンを切り、

ドアを開けて外へ出た。

すぐに足元の「障害物」に目を向ける。

完「…僕の車が罠にかかりました」

駐車ガードが上がっただけである。

鈴(罠wwwwwワwwwナwwwww)

鈴は必死で笑いをこらえていた。

完「こういう仕組みで、無人で運営しているんですね」

鈴「そ…そう、なん…です……っ」

完「…?…草餅さん…?…暑いので早くビルに入りましょう」

鈴「はい……こちらです……」

完「………??」

さほど大きくない雑居ビルの壁面には

数多くの電光看板が並んでいたが、

完は一つとして見覚えがなかった。

・アニ☆まにあっくす

・コミック沙羅曼陀羅

・すいかぶっくす

・古着屋かむひあ

・プリクラ シューティングスター

・パープルサブマリン

・DOLL B・O・X

・コス♪ちゃーむ

・ゆあめいど おかえりなさいっ☆

完(ど…どうすればいいんだろう…)

鈴(うわっ、うさぎさん戸惑ってる…!)

完「あの…いったい何があるんですか…ここ…」

ビルの正面入り口で完は固まっていた。

しかし、その横を女性客が数人通り抜け、

気安くビルへと入ってゆく。

完「…女性だけで入っても大丈夫なんですね」

肩の力を抜いた完は、ビル内へ進む。

鈴はそれにあわてて続いた。

鈴(うさぎさん…警戒するとこソコじゃないです…)

(某県市街地 カーニバルビル 1階)

完「なんですかこれ」

大きく「美顔ラボラトリィ」と書かれたプリクラ機である。

鈴「え、あの…写真を撮ってシールにしてくれるんです…」

鈴(ここから説明が必要だったんだ…!?)

完は「美顔ラボラトリィ」の周りをゆっくりと見回っている。

そのうち、するりと中へ入ってしまった。

鈴「あ!!」

女性客「きゃああ!!」

完「!? すっ、すみませんっ!!」

あわてて出てきた完は、「美顔ラボラトリィ」から

少なくとも2メートルは距離を置いた。

完「女性専用だなんて知らなくて…」

鈴「ち、違います!ただ使用中だっただけです!」

完「えっ」

鈴「と、とりあえず2階いきましょう!」

さきほどの女性客に追われる前に

エスカレーターで2階へ逃げる二人だった。

(某県市街地 カーニバルビル 2階)

完「アニメまるごと!アニ☆まにあっくす…?」

鈴「よ、読まなくていいです…」

完「うわっ、目が大きいです」

鈴「え?」

完「この人コンタクトレンズ特注ですよ」

アニメの美少女キャラの等身大パネルだった。

鈴「あ、そのキャラは裸眼で…」

完「そんなはずはありません。瞳が紫色です」

鈴「そ…その…もとから、そうなんです…」

完「病気ですか?髪も真っ白だし…若そうなのに…」

完は元気いっぱいな等身大パネル

重病患者を見る目で見ている。

そして、そのパネルは店の入り口にある。

鈴「あ、あの…ちょっとお店に入ってもいいですか…?」

完「あ、はい…」

完は鈴とともに店内へ入ると

完「ほぼ全員校則違反ですね」

学園モノのアニメのポスターを見て、言い放った。

鈴(どうしよう…この人どうやって止めたらいいの…!)

鈴が困惑している間に、完は店内をきょろきょろと歩き回っている。

鈴(目を離さないようにしなきゃ…)

鈴は鈴で、この店でいくつか買いたい物があったのだが、

そんな物は吹っ飛んでしまった。

鈴「そっちはダメです!」

完「え?」

鈴が完のスーツの裾をつまんで引き留めた。

完「…地雷源でもあるんですか?」

鈴「…ある意味では、そうです」

完「え!?」

鈴「怪我はしませんが…」

完「なら別に…」

鈴「せ、精神的に怪我をするかも…!!」

完「そちらは一応専門ですから」

鈴(そういえばそうだった!)

完は精神科医でもある。

引き留める術を失った鈴は、

完のジャケットの裾をつまんだままついて行く。

完「……………?」

完が、平積みにされた本の表紙を眺めている。

完「…お前の…天の岩戸が丸見え…だぜ…?」

鈴「読まなくていいです!読んじゃダメです!」

完「え?読んだら駄目なコトを帯に書くんですか?」

いわゆるボーイズラブ系のコーナーである。

完「天の岩戸は確か…天照大神が隠れた、岩の洞窟です」

鈴「…岩なんですね」

完「岩です。天照大神はその中に隠れていましたが、確かに天の岩戸自体は隠れてはいませんでした」

鈴「なるほど…」

完はその帯のかかった本を手に取った。

完「でも、妙ですね」

鈴「な…何がですか」

完「天照大神は古来より女性と言われているはずです」

鈴「えっ、そうだったんですか」

完「ですが、これはどう見ても男性ですよね」

鈴「そ…、その人天照大神じゃないんですよきっと…」

鈴は完の手前、苦し紛れを言ってみた。

実際、その本の内容も知らない。

完「そうですよね」

鈴「えっ」

完「天の岩戸は丸見えでも、本人は中にいるのでしょう」

鈴「………はい………」

完「で、この人は天照大神を呼び戻すために珍妙な踊りをさせられているのですね」

鈴「えっ」

表紙の人物は、俗に言う「M字開脚」で

股間がちょうど帯で隠れるデザインになっている。

完「太陽の神が引きこもったとはいえ…大変ですねこの人…」

鈴「そ…そ…そうですね……」

鈴(大変なのはうさぎさんの思考回路です!!)

完「かわいそうだから買っていこうかな…」

鈴「わっ、私が!私が買います!」

完「草餅さんも買うんですか?」

鈴「いえ、あの、うさぎさんは買わないほうが」

完「そちらの室長に、刺激に対する免疫はつけておけと言われまして」

鈴「え…」

完「こういう…表紙と帯だけでは内容がわからないような本は買ったことがないので」

完は本を裏返し、裏表紙の解説を目で追い始めた。

完(「僕は日本史の研究をしていただけなのに、どうしてこんなことに…あいつが来るなら僕はひきこもる!」 あれ? 神様のお話じゃないのかなこれ)

鈴「うっ、うさぎさん!」

完「はい」

鈴「か…買うんですか」

完「そうですね。裏表紙を見たら余計に内容がわからなくなったので」

鈴「え?」

完「草餅さんは、他に何かお買い物ですか?」

鈴「あの、その、表紙…持っていくの恥ずかしくないですか…?」

完「バーコードは裏表紙にありますから、裏を向けます」

鈴(鈴は逃げ出した!しかし回りこまれてしまった!)

完「花嫁が花婿だった。まあいいや☆……は?」

完はまた別の本の帯を読み上げていた。

完「いや、まあいいや、じゃないでしょう普通…」

完は本を手に取ろうとしたが、鈴が遮った。

鈴「うさぎさんっ、私っ、パープルサブマリンに行きたいですっ!」

完「パープルサブマリン?」

鈴「この上の階のフィギュア屋さんです」

完「はい。とりあえずこの本だけ買ってから…」

鈴(どうしてそんなにこだわりますか…!!)

完「あの、草餅さん?」

鈴「あのですね、ぶっちゃけて言うとここらへんに置いてある本はもれなく男同士の性的描写が含まれておりまして、なおかつうさぎさんが持っている本の作者は描写が過激なことで有名なんです。それでも買うんですか?」

鈴は完全に目が据わっていた。

完「……………………」

完は持っていた本をそっと元の位置に戻した。

完「草餅さんに嫌われたくないので…買いません…」

鈴(なんか変だよこのデート!!)

鈴「わっ、私とか情技の人たちは平気で読んでますけど」

完「え?じゃあ買います」

鈴「いえあの、うさぎさんはまずこのあたりから入ったほうが…」

完「この…花嫁が花婿だった理不尽な本ですか」

鈴「状況は理不尽ですけど、描写はそんなにどぎつくないので…」

完「そうですか。詳しいですね」

鈴「じょ、情技では常識です」

オチをつけたところで、レジへ向かう二人だった。

(某県市街地 カーニバルビル 3階)

完「なんですかこれ」

鈴「ねんどっぽいどのフィギュアです」

完「年齢はみんな1~2歳ですか」

鈴「いっいえ、元はほら、こういう頭身なんです」

パープルサブマリンのガラスケースには

低頭身の「ねんどっぽいど」が上段に、

その下に同じキャラクターの本来の頭身のフィギュアが

飾られていたのだが。

完「この人、骨格がおかしいですね」

鈴「…」

完「この女の子、骨粗鬆症で近々大けがを…」

鈴「しません!その子は二次元のバーチャルアイドルなのでそもそも肉体が存在しません!電子の妖精なんです!」

完「電子の妖精…ですか…」

鈴(あれ?納得するのが早い…)

完「情技の技術はこうして擬人化までされていたんですか」

鈴「いやっwwwちがっwwww」

完「え?」

鈴「えっと…イミテーションボーカリストといいまして…声優さんの声を音源にして歌を歌わせるソフトがあるんです」

完「歌を…だからこの人たちはみんなマイクを持っているんですね」

鈴「はい。略してイテボです」

完「なんだか痛そうですが大丈夫なんですか?」

鈴「大丈夫だ、問題な…いです」

完「そうですか……」

完(僕もそのソフトを使えば、音痴じゃなくなるのかな?)

鈴「…どうかしました?」

完「なんだかこの赤い服の女の人がどうも…優ちゃんに雰囲気が似ています」

鈴「…そういえば…」

完「弟におみやげに買って行こうかな…」

鈴(どんなおみやげですか!?)

完「…あ」

ガラスケースの最下段。

そこには、ひとつの「世界」が確立していた。

天界の神々と地底の魔王軍が夕日を背に戦争をしている。

描写はリアルで、西洋の宗教画を思い起こさせた。

鈴「すごいですね…これ…」

完「うーん…どうも全体で一点物のようです」

鈴「…売約済み…ですか……」

完「もう少し早くここに来ていれば買えたのかな…」

鈴「え!?」

鈴(値段、書いてません!)

完「…でも、これを部屋に飾ったら部屋が負けそうです。部屋の世界観もコレに合わせないと」

鈴「え」

完「……大規模な模様替えが必要に…」

鈴「ほ、本当にこんな部屋にするんですか…?」

完「…ちょっと落ち着きませんね…」

鈴「で、ですよね」

完「どんな人が買ったんでしょうね…」

完はそこを通り過ぎて、

完「草餅さんは、何かお買い物ですか?」

鈴「私はこのねんどっぽいど01を…」

完「僕はこの…イテボさんを…で、どこにあるんでしょうか」

鈴「こちらです」

鈴はガラスケースを通り過ぎて、陳列コーナーに来た。

完「箱…大きいですね…」

完は赤い「イテボフィギュア」の箱を手にとっていた。

鈴「箱から出さずにそのまま飾る人もいますね」

完「うーん…」

鈴(うわ、7480円…)

鈴が買おうとしているフィギュアは2400円だ。

完がひとつ買う値段で、鈴は同じ物を3つ買える。

完「とりあえずひとつだけ買います。草餅さん、それ貸してください」

鈴「えっ」

完「今日の…草餅さんへのおみやげにします」

鈴「えっ…え…/////」

完「あれ?こっちのほうが高い…」

鈴(当たり前です)

完「弟にこれを買っていって、草餅さんがそれでは僕が弟に叱られますので」

鈴「叱りませんよ大丈夫ですよ!」

完「でも、僕の気が済みませんので」

鈴「あっ、じゃあうさぎさんもねんどっぽいどにしましょう!」

完「コレですか…」

鈴(どうして難しい顔を…)

完「草餅さん、ちょっと」

鈴「え?」

完は鈴にそっと耳打ちする。

完「この人、腕が短すぎて大便のあとトイレットペーパーで拭けませんよね…」

鈴(夢も希望もない耳打ち!!泣きたい!!!)

その後、完は困ったような顔で向き直り

完「そういうわけでこちらを選びました」

鈴「だ…大丈夫です。普通…そこまで考えません」

完「す…すみません…弟から突っ込みを食らうのは避けたかったので…」

鈴(初めてのデートが…初めての耳打ちが…orz)

(つづく)

紺野 雪の実情

紺野 雪は、大病院の令嬢である。

小さい頃から主に父親から英才教育を受け、

医師になるための道を歩かされてきた。

父は厳格で、母は貞淑で、娘は美しく。

雪は、非の打ち所のない「お嬢様」だった。

高嶺の花。

誰からもそう呼ばれるにふさわしかった雪は、

ことのほか男女交際に恵まれなかった。

溶けない雪は高すぎて、誰の手にも届かない。

雪のいる山頂に挑むなど、思春期の男子には無謀だった。

ふもとから見ているだけで幸せだった。

だが、雪本人は不幸だった。

同性からは嫉妬を受け、異性からは遠巻きにされ

その理由が自分にあることが自覚できない。

そして、誰も指摘してはくれない。

父親は言った。

「くだらない人間を相手にせず、自分を磨きなさい」

唯一信頼できる人間の助言は、雪を更に孤立させた。

雪は努力によってより美しく輝き、

その眩しさから人は遠のいた。

雪は、知的好奇心が旺盛だった。

独りで学ぶことに苦などなかった。

思春期。

雪も例外なく性に目覚め、相手を欲するようになった。

だが、誰もいなかった。

雪は時折自分を妄想の海へ投げ込み、

欲の波に溺れた。

家族が寝静まった夜、自慰行為にふける。

どこをどうすれば快楽を得られるのか、

すでに予習済だった雪が自らを絶頂に導くのは

そう難しいことではなかった。

彼女の自慰行為はすっかり日課になってしまった。

高校に入っても、医大に入っても、

雪の扱われ方はそうそう変わらなかった。

彼女は自宅から大学に通っていた。

父親に言われるままの進路。門限。

だが、事情が変わってしまった。

雪以外の「跡継ぎ」が現れたのだ。

雪の従兄弟。

父の弟の次男で、同じ医大生だという。

今更何を言うのだ、と食ってかかることもできない。

紺野家の父は紺野家の「王」。

王政に敷かれた「王女」は「姫」に成り下がった。

だが。

雪がそこに見だしたのは、絶望ではなく希望だった。

今日から自分は「普通の女の子」だ。

大病院の令嬢でも跡継ぎでもない、単なる医大生。

もちろん女子の医大生は少なかったが、

雪は敷かれたレールから喜んで脱した。

とはいえ、医大を退学したわけではない。

きちんと卒業し、医師免許を取得した。

そこには、ある目的があったからだ。

医療機関礼英 機関長室)

今から何年か前。

ここでは、紺野 雪の面接が行われていた。

龍崎「ねえ、何か企んでるんじゃないの?」

雪「えっ」

医師でなく、最終医研の看護士枠に応募した雪は

突然投げかけられた質問に動揺した。

革張りの椅子に腰掛け、机に頬杖をつき、

龍崎はパイプ椅子に腰掛けた雪を

上から下までくまなく見つめた。

今までそのような視線を向けられたことは何度もあったが

龍崎は他の男と違った。

外から見ただけで、心まで見透かすような視線。

だが、雪はそれを望んだ。

自ら見透かされるのを欲した。

雪(私は…恋を…したいんです…)

まるで神にでも祈るように、雪は龍崎を見つめ返した。

龍崎「あっはっはっは」

龍崎は陽気に笑った。

龍崎「スパイじゃなさそうだね」

雪「え?」

龍崎「たまにいるんだよ。ドコが雇ってるか知らないけど、面接に紛れ込んでくるの」

雪「私はそんな…」

龍崎「そんなことないよねー☆」

龍崎は椅子から立ち上がり、ゆっくりと

雪の座席へ歩み寄った。

そして、

雪「ひゃっ…!!」

雪の長い黒髪に指を通し、そのまま首筋をなぞりあげた。

龍崎「訓練されたスパイがそんな反応…するわけないもんね」

雪「…………っ」

雪は、顔から火が出るかと思った。

雪(初めて…男の人に触られちゃった…)

雪の体に甘い熱を残したまま。

自分の席に戻った龍崎は

龍崎「採用ね。ただし」

やたらと楽しそうな笑顔で

龍崎「どうなっても、知らないよ?」

と、言い放った。

雪は、医療機関礼英・最終医科学研究所に就職した。

龍崎の言葉の意味を、雪はすぐに思い知ることになる。

「紺野さん、美味しいお店知ってるんだけど…」

「紺野さんって、休みの日は何してるの?」

「紺野さん、今…付き合ってる人とか、いる?」

次から次へと医師が言い寄って来る。

仕事をしている暇がないのだ。

最終の看護士はそれなりに忙しい。

患者は高度な治療を受けた直後の者ばかりだ。

彼らの看護をしながら医師たちの求愛をやり過ごすのは

容易なことではなかった。

雪にも、好みというものがあったのである。

(最終医科学研究所 所長室)

卯月「お仕事がはかどらないって?」

雪「その…はい…」

卯月「面接の時、機関長に言われたでしょ?」

雪「………はい…ですが、その…」

雪はもじもじしていた。

雪「わ…私…ここに来てから急に…たくさんの男の人に声をかけられるようになって…」

卯月は少々驚いた。

卯月「あれ?じゃあ、今までは?」

雪「誰からも…私、モテな…かった、んです…」

遠巻きにされてきた境遇は過去形になり、

それと引き替えに彼女は「多忙」になった。

卯月「恋人とかいないの?」

雪「いません…」

卯月「じゃあよりどりみどりじゃない。付き合っちゃいなよ誰かと」

雪「う…その…それは…」

言い寄ってくる者の中に好みの相手がいない…

などと贅沢なことを言うのはためらわれた。

それでなくても他の女性看護士からすでに嫉妬を受けているのだ。

雪「わ、私っ、職場では…その、恋愛はちょっと」

卯月「ああ、色恋沙汰はお外でしたいのね」

雪「………、その………」

雪は言葉に詰まってしまった。

職場と職員寮を往復する日々の中で、

外部に出会いを求める暇などないように思える。

卯月「お医者さん、嫌い?」

雪「いっ、いいえ、そういうことでは」

卯月「どういう人が好みなの?」

雪「その……お…男らしい…ひと…」

卯月「もうちょーっと具体的にお願い」

雪「………」

学生時代はほぼ日課と化していた行為中、

雪はとある妄想をしていた。

力では到底かなわない屈強な男に激しく犯される…

雪「背が高くて…」

卯月「うん」

雪「肩幅が広くて…」

卯月「うん」

雪「力持ちで…」

卯月「うん」

雪「…心のまっすぐな人…です」

卯月「うーん、そっかー…」

卯月は、全ての条件を満たす医師が

今のところ最終にはいないことを知った。

卯月「じゃあ、こうしようか」

雪「え?」

これが、「ナースエンジェル同盟」発足のきっかけである。

条文には一片の隙もなく、同盟員は律せられた。

雪はしばらくの間、平穏に過ごすことになる。

後に4人の外科医が新たに最終に入所した。

小柄で、酷く冷酷な瞳をした脳外科医。

細身で、少々軽薄な印象のある形成外科医。

平均的な体格で、穏やかな脳外科医。

そして、

雪(…柏崎…先生……)

長身で肩幅が広く、体力があり、心根のまっすぐな胸部外科医。

雪(きっと…彼女くらい…いますよね…)

第一食堂で。

雪は柏崎を盗み見ていた。

会話も盗み聞いていた。

二宮「あー」

矢野「セックスしてぇ」

二宮「あたり」

柏崎「はあ…オレもしたい…つーか彼女欲しい」

雪(え?)

二宮「どうでもいいけど中畑アレは絶対インポだな」

柏崎「どうでもよくはねぇだろwww」

矢野「インポでいいよ中畑はwww」

その後の会話は覚えていない。

雪(柏崎先生、フリーなんだ…!)

雪の頭の中は、それでいっぱいだった。

そして、同盟規約に条文がそっと追加された。

同盟員ですら気づかないほどささやかに、しかし明確に。

「紺野 雪本人から個人的に要望があった場合は

前項までの禁止事項は適用外とする」

動き出す秋

(昼休み 医療機関礼英 第3食堂)

チキンカツ定食のトレイを持った

若くて体格のがっしりした理学療法士

きょろきょろしながら食堂内を歩き回っていた。

叶具(誰が情技の青木さんなんだろう…)

一方、利用者の9割以上が情技室員である第3食堂で

理学療法士の服装は目立っていた。

ロッソ「あ、KINGだ」

プリモ「えっ何?」

ロッソ「あそこにいる理学療法士

ロッソは叶具に向かって大きく手を振ってみた。

見知った顔を見た叶具は、安心したように寄ってきた。

叶具「宮越さんー!」

ロッソ「どしたの、こんなとこ来て」

叶具「情技の青木さんを探しに…」

ロッソ「青木先生ならあっちに座ってるメガネだよー」

叶具「ありがとうございます!」

叶具はロッソに一礼して、青木のいる席に向かった。

ピアノ「ねえ、KINGって何?」

ロッソ「叶具→かなぐ→金具→きんぐ→KING」

プリモ「なるほどww」

離れた席で。

叶具「あのう…、あれ?」

長瀬「あ、KINGだ」

了「やっほーKING」

マカポー「Hey,KING!」

青木「んん、んー!」

青木はミートソースパスタを頬張っていた。

叶具「皆さんこの前体育館で会いましたよね…?」

しかし、その時は各自運動に適した服装だったため、

名札はつけていなかった。

青木「夏休みゲットしたー、ただし3日間」

叶具「あの!あの!」

青木「は、はい?」

叶具「ロックバンドのドラムやらせてください!」

青木「へ?」

叶具「えっ、え?」

あそこのメガネが青木だよ、と言われてここへ来た。

ロックバンドのメンバーを募集していたのは彼のはずだ。

しかし、叶具は情技の人員についてほとんど知らない。

まして「青木」など、情技に限らずどこにでもいる。

叶具は不安になりかけた。

マカポー「ドラムキターーーー!!」

長瀬「おめでとう!おめでとう!」

了「つーか自分で募集しといて忘れンなwww」

青木「あっ、ごめん、来ると思ってなかった」

叶具は盛大に拍子抜けした。

青木「とりあえず座ろうよ」

叶具「ドラムまだ空いてますか?」

青木「空いてるから座ろうよ」

叶具「よっしゃああああああああ!!!!」

募集した本人より志願した叶具のほうが盛り上がっている。

席に座ってからもガッツポーズ。

席順は以下の通り。

------

長瀬   青木

マカポー 了  叶具

 

------

マカポー「オイ、ツラが見えネェゾ」

叶具「すいません!」

了「いじってやるなよ新人なんだからww」

長瀬「やる気ありそうなのが来てよかったな青木」

青木「オレ大学以来だから腕なまってると思うー…」

マカポー「リーダーがそんナンでどうスンネン」

叶具(マカポー氏はどこの生まれ育ちの人なんだ…!?)

離れた席で。

鈴(話しかけてこない…絶対ドン引きされてる…!)

完(どうやって切りだそうかなあ…)

お互い思案(?)しながら無言で食事を取っていた。

完「あの」

鈴「んっ、んぐっ」

完「すみません、ゆっくり食べてください」

鈴「んっ、は、はい、なんですか?」

完「草餅さんの、次のお休みはいつですか?」

鈴「明日です」

完「えっ」

鈴「え?」

完「あ…いえ、その…僕も明日休みなんです」

鈴「えっ」

これが「奇遇」でないことを知っているのは

離れた席に座っている面々と室長のみである。

長瀬「ところで最終鬼畜中畑先生はいつリア充になんの」

了「鬼畜ってつけんな。うまくいけば今月末には…」

叶具「ぐふっ!」

チキンカツ定食を食べていた叶具がむせた。

叶具(そんな急展開なんですか…!?)

マカポー「青木、リア充爆破songでも作るノカ?」

青木「いあ、とりあえずめんどくさい歌仕上げたい」

長瀬「え?アレで仕上がってるんじゃねえの?」

青木の言う「めんどくさい歌」とは

青木の心象映像に映された歌である。

特に曲名を決めていなかったので、暫定的に

「めんどくさい歌」と題されているが

変更する必要もなさそうな歌詞である。

青木は完に頼んで心象映像のデータを譲り受け、

音声だけを抜き出して同僚と叶具に配ったが…

青木「仕上がってない。2番が無い」

了「アレにどうやって2番つけるんだよ…」

叶具「それなんですけど青木先生」

青木「あい?」

叶具「オレの嫁が続き思いついたって言うんです」

長瀬・了・マカポー「嫁?」

叶具「あ、すいません、つい癖で…彼女が」

長瀬・マカポー「カ、ノ、ジョ?」

了「お前らあからさまに爆破オーラ出すな」

離れた席で。

完(いきなり明日なのか…)

弟に「ふたりで遊びに行け」と提案されたばかりだ。

しかし、明日。

相手には、すでに予定が入っているかもしれない。

完が思案していると、

鈴「あ、あの…明日…空いて…ますか…?」

しようとした質問は、向こうから投げかけられた。

完「はい。特に予定は入っていません」

鈴「そ、そうですか」

完「草餅さんは…?」

鈴「わっ、私は!はい!暇に!しております!」

完「あの、随分気合いを入れて暇にするんですね」

鈴「え!?いえあの、べっ別にそんな、気合いとかはッ」

鈴はただ緊張しているだけなのである。

完「了に聞いたのですが…」

鈴「へ?」

完「情技の女性は「気合いを入れて休む」こともあるそうで…」

鈴「えっ、なんですかソレ」

完「確か…趣味に…全力投球?する、と…」

離れた席で。

ピアノ「へっくし!」

ロッソ「どうしたし」

プリモ「花粉症?」

ピアノ「昨日パソコンの前で寝オチしかかってさー…」

プリモ「冬パラ受かるといいねー」

ロッソ「今から修羅場かー…」

冬パラとは。

冬に行われるコミックパラダイムシフトの略称である。

日本最大級の同人誌即売会に売り手として参加するには

サークル参加者として「当選」しなければならない。

「当選」があるからには、当然「落選」もある。

ピアノ「受かってもいいように新刊出すぞうおお!」

と意気込んで、ピアノは自らを

「同人誌原稿作業の修羅場」に追い込んでいるのである。

こういう人種は休日を「気合いを入れて」過ごす。

しかし、

鈴「あ、私はそういう休み方はしないほうなので…」

鈴は同人誌を読むが、創る側ではなかった。

完「そうなんですか」

鈴「なので、その、普通に空いてます…ので」

完「はい」

鈴「えっとその」

鈴(どこに誘えばいいのかわからない…!)

鈴の行動範囲は、それほど広くなかったのだ。

完「一緒に行ってみたいところがあるのですが」

鈴「えっ」

完「付き合ってもらえませんか?」

鈴「あの…どこへ…」

完「市街地の…ええと…カーニバルビル…?…に」

鈴「え!?」

完「え?」

完は「カーニバルビル」に何があるのかを知らない。

二宮に「情技の女と出かけるならそこへ行け」と

アドバイスを受けただけだった。

完「あの…何かまずいことが…?」

鈴「いっ、いえ、まずくは、まずくはないん…ですが」

鈴(でも、おいしいのは私だけなんじゃ…!!)

離れた席では。

叶具「…っていう歌詞で」

青木「おおー」

了「よくまとまったなあ」

叶具の彼女が考えた「めんどくさい歌:2番」の解説が

終わったところだった。

マカポー「oh…じゃネエダロ」

長瀬「もともとはお前の曲じゃねえか」

青木「作詞協力:KINGの彼女って入れればいいし」

了「相変わらずユルいなそのへんww」

叶具「えっ、ちょっ」

青木「あん?」

叶具「いえ、嫁が思いついたというだけでその」

青木「はい採用」

マカポー「オマエ自分で作るのめんどくさいダケダロw」

青木「いや、大学の時に自分で作った2番はあった」

長瀬「あ?」

青木「けど、心象にすら出てこないほど忘れた」

了「え?」

マカポー「マサカの…完全忘却…か?」

叶具「でも、2番があったという事実だけは覚えているんですか…」

青木「不思議だよねー」

長瀬「不思議なのは、自分のコトなのにまるで他人事みたいな青木だ」

了「…言えてる」

了(兄さんの心象映像抽出が不完全だったのか…?)

青木の完全忘却か、心象映像抽出が不完全か。

どちらもあり得ないことではないように思える。

了はそちらの分野は専門外で、結論は出ない。

青木「曲は完成するんだし別にいいやー」

長瀬「ユルいwww」

叶具「あとは…メンバーですね」

青木「ドラムとベースボーカルでいいやー」

了「おいwwwww」

マカポー「freedomすぎるダロwww」

離れた席で、完は首をかしげていた。

完(まずくはないって、良くもないのかな?)

鈴(何故いきなり私の趣味どストライク…!?)

鈴がうろたえているので、完は付け足した。

完「実は、僕はそこへ行ったことがありません」

鈴「はい!?」

完「情技の女性と出かけるならそこにしろ、と友人に言われて…」

鈴「ああ…そ、そうだったんですか…」

何故かほっと胸をなで下ろす鈴だった。

(昼休み 医療機関礼英 第1食堂)

二宮「あのさあ」

矢野「ん?」

二宮「柏崎に禁酒令出てたの知ってるよな?」

矢野「うん」

柏崎は、ドイツに出張していた。

二宮「あいつがドイツで禁酒できると思うか?」

矢野「思わない」

二宮「で、当然監視がついたわけだ」

矢野「当然飲まないヤツがついたんだよな?」

(ドイツ 医療機関礼英 ドイツ支部 ロビー)

「……あの、柏崎先生」

聞き覚えのある女性の声に振り向いた柏崎は、

声を失った。

紺野「柏崎先生がお酒を飲まないように、お側で見守らせて頂きます…」

恋(?)のお悩み相談室

【夜 某県郊外のマンション 803号室 寝室】

了「おっぱいおっぱい」

優「このおっぱい星人め」

了「おっぱいぽいんぽいん」

優「おっぱいぽいんぽいんなのー?」

ベッドの上。

了は寝る前に優のEカップの胸に甘えていた。

了「ぎゅー…」

抱きしめた妻の肢体の弾力性に浸る。

優「ぎゅーwwwww」

了「うぐっぐぐぐ ギブ!ギブ!」

優が了を容赦なく抱き締めると、了はすぐに音をあげた。

翌日に了が仕事を控えている日の夜は、

こうしてのんびりと触れ合っている。

しかしイタズラは発生する。

優「おっぱいおっぱいww」

了「あう////」

優「さっきのお返しじゃーww さわさわ」

了「あ…ダメ……////」

携帯電話の着信音。

了「兄さんからだ…っちょ、やめ…///」

優「このまま電話に出ろ」

了「無理っ…!」

鳴り続ける携帯電話。

了「もっ…もしも、…しっ……!」

完「あの、大丈夫?」

了「んっ!ちょ、ちょっと嫁が…あっ…!」

完「ご///ごめん/////切るね///////」

了「待っ…!」

切れた通話。

了「よーめーぇぇええええ ><」

優「あれ?もう良かったの?」

了「良くない!兄さんが勘違いして電話切っちゃったよ!」

優「あっれーどんな勘違いされたのかなーwww」

了「とにかくこっちからかけなおす…」

了は着信履歴から発信したが、

了「兄さんごめ…あっ…///」

優によるイタズラは発生するのだった。

完「あの///取り込んでるみたいだから///」

了「ちがっ…ぁ…大丈夫っ…だから…ぁあっ…////」

完「大丈夫そうに聞こえないから////////」

了「よ、嫁ちょっと、通話、妨害やめっ…///」

完「その、メールするから////」

了「あっ…」

再び兄によって切られた通話。

了「嫁えぇえええええええorz」

優「いいじゃんお兄さんだし」

了「良くなーい!今の兄さんは草餅さんと発展するか否かの瀬戸際なんだからっ」

ほどなくして、今度はメールの着信音が鳴る。

了「きっと兄さんからだ…」

-------

差出人:中畑 完

件名:よくわからない

本文:

草餅さんに「友達になりたい」と言われたけど

僕がバレンタインデーにもらったのは本命チョコなの?

だから草餅さんにとって僕は恋愛対象なの?

友達なの?親友なの?何なの?どうすればいいの?

一週間、旅行しようって誘われているけど

どこに行ったらいいか全然決まらない

どこに行ったらいいかな?

-------

了はがっくりとうなだれた。

了「よくわからないどころか、全くわかってない…」

優「なになに?…え?ちょwww」

優がメールの文面をのぞき込んでいた。

優「バレンタインデーに手作りのチョコケーキもらった時点で気付こうよww」

了「オレもそう思う…」

了は世間の義理チョコ文化を大いに恨んだ。

優「お兄さんダメだね。これ鈴ちゃんからどんどん押さないと」

了「うーん…嫁はともかく、柏木さんだからなあ…」

優「了から言えば?押しまくれって」

了「い、いや、その、なんというか」

大学時代から優に押され押し倒されてきた了は、

せめて完が恋愛の主導権を持って欲しいと思っている。

…と、この妻の前で言えるはずもなく。

--------

差出人:中畑 了

件名:兄さんは?

本文:

兄さんは柏木さんのことどう思ってるの?

--------

すぐに返信されるメール。

--------

差出人:中畑 完

件名:Re:兄さんは?

本文:

好きだけど、友達として好きなのか

女性として好きなのか、よくわからない

--------

了「んああああー」

了がベッドの上でじたばたしている。

優「なにこの甘酸っぱいメールwww」

了「ちっとも甘くないいいいい」

優「いいじゃん、友達以上恋人未満でww」

了「そういう中途半端だと兄さんは多分…」

返信していないのにメールの着信音。

--------

送信者:中畑 完

件名:とりあえず

本文:

久しぶりに有頂天高原にでも行ってみる

草餅さんが行きたい所があればそこに行きたいけど

--------

了「県内とかー!!地味すぎー!!!」

優「有頂天高原で一週間何すんのwww」

了「…でも、あそこ意外といろいろあるから、時間かけてのんびり見て回るのもいいかもしれない…?」

有頂天高原には、確かにいろいろな物がある。

高原にちなんだレジャー施設の他に、

オルゴールの展示博物館や、見学できる菓子の工場、

なぜか巨大なアウトレットモール、当然のように温泉、

さらに北へ行けばロープウェイもあり、登山も楽しめる。

優「鈴ちゃんってどこ出身なの?」

了「確かQ都」

優「えー!もったいない…Q都に就職してればコミパラとか、同人イベント行き放題なのに」

了「確かに」

Q都は日本の首都。

コミパラはコミックパラダイムシフトの略称。

日本最大級の同人誌即売会である。

毎年、夏と冬にQ都臨海地区で開催される。

オタクが職員の9割を越えている情技では

開催日に休みが取れるかどうかが死活問題(?)とされている。

--------

送信者:中畑 了

件名:うん

本文:

一週間もあるんだし、柏木さんの行きたいところ優先で

兄さんが行きたい所にも行けばいいんじゃないかな

--------

了「あっ、しまった」

優「どうしたの?」

了「柏木さんも有頂天高原に行きたいって言ったらどうしよう」

優「気が合いますね、でいいんじゃないのww」

了「…それもそうか?」

優「でもさー、機関長と室長とっつかまえて、一週間お休みもらって有頂天高原行ってきましたって箔がつかないよねww」

了「それだけは言うな!」

--------

送信者:中畑 完

件名:ありがとう

本文:

そうします

--------

優「なぜ丁寧語ww」

了「わからんww」

【夜 某県郊外住宅地 中畑家 2F 完の自室】

完「…こんなのでいいのかなあ…」

最後のメールを送信した後、完は自問自答していた。

完「いっそハワイに行きたいとか言ってくれれば…」

金銭的にはいくらでも都合はつくのだ。

相手が希望を言ってくれれば大抵の望みは叶えられる。

だが、鈴は「旅行」としか書かなかった。

県内の高原だろうと南海の島だろうと

旅行は旅行である。

携帯電話の着信音。

完「…もしもし、もういいの?」

了「うん。あのさ、休みって9月の最後でしょ?」

完「そうだけど」

了「だったらその前に二人で何回かどこか出かけたら?」

完「え?」

了「だっていきなり二人で旅行じゃ敷居が高いでしょ?」

完「うん…どこに行ったらいいかわからないし」

了「近場で二人で遊びながら旅行の打ち合わせでもしたら?」

完「…それもそうだね。草餅さんと休みが合えばいいんだけど」

了「それは大丈夫」

完「え?」

了「い、いや、なんとかなるよきっと」

完「うん、ありがとう」

了「じゃあね」

終わる通話。

完(…優ちゃんとは一区切りついたのかな?//)

全く別のことを考えているのだった。

恋の作戦会議

【昼休み 医療機関礼英 第3食堂】

ロッソ「ねえ草餅たそ、あれからどうよ?」

鈴「えっと…」

礼英ハイパー鬼ごっこで、9月末に一週間の休暇を

勝ち取った鈴だったが。

鈴「ちょ、ちょっとやりすぎた…////」

ロッソ「何を!?」

ピアノ「どうして!?」

プリモ「どうやって!?」

今日は完が第3食堂に来ていない。

そんな日はいつものメンバーで昼食を取る。

鈴「せめて…お、おでかけしませんかって書けばよかった…」

ロッソ「渡した手紙?」

鈴「見てたの!?///」

ピアノ「なんて書いたの?」

鈴「旅行しませんかって書いちゃった…」

プリモ「ちょwwwwww」

鈴「考えてみたらデートもまだだったぁー!」

うわあああ、と鈴が机に突っ伏してしまう。

鈴「私先走りすぎ!恥ずかしい!!」

ロッソ「とりあえず落ち着け」

ピアノ「そうだよ、友達なんだから旅行くらいするよ!」

プリモ「温泉とかね☆」

鈴「いあああああああああ////////」

浴衣姿の完を想像しただけで食事が喉を通らないのだった。

鈴「もうっ!ダメっ!うさぎさんの顔見られない!」

ロッソ「良かったね今日来なくて」

鈴「来てたらあれは冗談でしたって即刻謝る!」

ピアノ「まあまあそう悲観するでないよ」

鈴「きっと私があんなの渡したから今日来ないんだうああああ!!」

プリモ「考えすぎだって!」

鈴「うわああああんう゛をを゛をを」

ロッソ「とりあえず最終の中畑先生の前でそんな泣きかたしないようにww」

鈴「はい…ぐすっ」

そこへ、

了「あの、大丈夫?兄さんと何かあったの?」

鈴があまりにも取り乱しているので弟がやってきた。

鈴「なっなにも…今はまだ何も…!!」

了「まだ?あ、休みはまだ先だったね」

鈴「ごめんなさいごめんなさい!」

了「なっなに!?え!?」

鈴「あの手紙は冗談ですって伝えてください!うさぎさんに!」

了「え、無理だよ」

鈴「どうしてですか!?」

了「だって、きっと今頃もう旅行のプラン立ててるよ」

鈴「うわああああああああああああああああああああ」

友達に 書かれたことは 真に受ける

たかが草餅 されど友達

(中畑 了 心の短歌)

【昼休み 医療機関礼英 第1食堂】

柏崎「…おい中畑」

完「なに?」

二宮「のんきに旅行雑誌見てる場合か?」

完「旅行しましょうって言われてるんだもん」

矢野「お前さー……」

今日は珍しく最終の若手が全員揃っていた。

完が第3食堂に顔を出さなかったのは、

「全員が揃う場合は全員で食事を取る」という

同期友人ルールに従っただけのことである。

矢野「あのなあ。男女ふたりで旅行なんだよ」

完「うん」

柏崎「男と女なんだぞ!?」

完「? うん」

二宮「やることあンだろ!ヤることが!」

完「観光とか?」

3人「違ぇよバッキャロー!!」

3人が3人ともテーブルを叩いて

立ち上がって完を罵るものだから

マウス「やだー、イジメ?」

ラット「かっこわるーい…中畑先生が優秀だからってー」

普段から蔑視している輩にまで注目されてしまう。

言い訳もできずに立ち尽くしている3人をよそに、

完「そういうんじゃないから…」

座ったまま彼女らのほうを向いた完の視線の温度は氷点下。

完(鬱陶しいから立ち聞きしないでくれないかな。)

クチに出したわけでもないのに、

そそくさと遠くへ逃げていくマウスとラット。

興ざめした3人も、おとなしく席に座る。

柏崎「二宮と矢野はともかく、オレが中畑いじめるとか無いから」

二宮「さりげに抜け駆け宣言するような奴が一番怪しい」

矢野「お前らホモなの?」

完「ねえ、やることって何?」

完以外の3人は食が進まない。

矢野「あのさ、バレンタインデーに本命チョコもらったんだろ?」

完「本命チョコと友チョコってどうやって見分けるの?」

二宮「…渡す時の態度と味」

柏崎「つーか直感でわかれそのくらい…」

完「そんなこと言われたって、初めてもらったのに」

柏崎「えっ」

二宮「えっ」

矢野「えっ」

完「えっ」

一瞬、テーブルの時間が止まる。

完「えっ、何?」

柏崎「初めてって…まさか人生初とか言わないよな?」

完「母親を除いて人生初だけど」

二宮「カーチャンはノーカウントだろww」

完「そうなの?それじゃ草餅さんが人生で初めてだよ」

矢野「嘘だろ…!?」

完「友チョコだか本命チョコだかわからないけど」

3人「本命だっつーの!」

今度は立ち上がらなかった。

完「もらった本人じゃないのにどうしてわかるの?」

矢野「いいか中畑、ここ礼英は虚礼廃止」

二宮「義理チョコも禁止」

柏崎「女から男への友チョコは当然義理チョコ扱い」

完「………よって本命チョコである、と…?」

まるで数学において証明するかのように。

柏崎「つまりそのなんだ、草餅さんにとっては中畑は恋愛対象なんだよ」

完「え、だって友達になりたいって」

二宮「馬鹿かww初対面でいきなり恋人になってくださいって言う奴がいるかよ」

矢野「そんなのマウスとラットだけでいいwww」

完「友達…だと思ってたのに」

完が旅行雑誌を閉じて、うつむいた。

二宮「…まさか、友達扱いで失礼なこと言ってないだろうな?」

完「言ってないけど…」

矢野「他に好きな女がいるとか?」

完「いないけど…」

柏崎「どうした?草餅さんじゃダメか?」

完「ダメじゃない、けど、……」

完が伏せた顔を元に戻した時。

3人は今までに一度も見たことのない表情を見た。

完「僕は…どうすればいいの……?」

高校兄弟 5

小野「…中畑さ、」

完「なに?」

小野「最近なんだかちょっと、調子出ないね」

中畑一が渡米して、1ヶ月が経っていた。

【某県郊外住宅地 小野家 小野の自室】

父が渡米したまま迎えた夏休み。

去年約束した動物王国にも行けなかった。

完は気晴らしに同じクラスの小野の家に来ていた。

そこにロシアンブルーがいるからだ。

完「…そう、かな」

床に座った完の膝の上でロシアンブルーがくつろいでいる。

調子が悪いのは、自分でもわかっていた。

その原因もわかっていた。

お父さんに会えない。

お父さんが家に帰ってこない。

お父さんの顔が見られない。

お父さんと話せない。

お父さんの帰りを待つことしかできない。

小野「うん。キレがないよ」

完「キレ?」

小野「なんだかぼんやりしてるし」

去年、完が2年の時に3年次の教科書を彼に譲ったのは

小野と2歳離れた兄、小野祐輔である。

祐輔は今、大学2年。長い夏休みに入っている。

祐輔「おーい中畑くん」

完「あ、はい」

祐輔「おやつ食べようか、ふたりで」

小野「僕の分は!?」

祐輔「3つあるけど中畑くんと二等分する」

小野「なんで!?」

祐輔「うるさい馬鹿黙れ大馬鹿。猫と遊んでろ糞馬鹿」

実の弟より出来のよい弟の友人を歓迎する兄は

そのかたわらで弟を容赦なく馬鹿にするのだった。

完「えっと…3つあるなら3人で頂きませんか」

祐輔「中畑くんがそう言うならそうしようか」

小野(僕の立場は…)

【某県郊外住宅地 小野家 和室】

祐輔「おやつは草餅と冷たい緑茶だよー」

小野「…草餅3個を2等分しようとしてたの…?」

完「やってできないことではないだろうけど…」

どう考えても手間がかかるのだった。

祐輔「やればできるだろ馬鹿。猫用ジャーキーでも食ってろ馬鹿」

小野「やだよ!」

完「あ…あの…いただきます…」

祐輔「どうぞどうぞ」

猫が寄って来ていた。

小野「こーら」

祐輔「お前はコレね」

祐輔があらかじめ用意していた猫用ジャーキーを差し出すと

猫は夢中でジャーキーを噛み始めた。

完「………………」

完はジャーキーを噛むロシアンブルーを見ていた。

小野「何?中畑、ひょっとしてジャーキー食べたいの?」

祐輔「そんなわけないだろ馬鹿かお前はそうか馬鹿か」

完「…その…ずいぶん夢中で噛むんだなって…」

完は祐輔があまりにも弟に馬鹿と連呼するので

フォローしようかどうか迷っていた。

完(さらさらと馬鹿馬鹿言うんだよね…)

祐輔の発する「馬鹿」には、ほとんど罵倒の響きがない。

まるで語尾がフォーマットされているかのように

すらすらと出てくるそれには長年の熟練が感じられた。

小野「猫も本来は肉食だからね」

祐輔「肉の匂いがついてるんだアレ」

完「そうなんですか…」

猫があまりにも夢中でジャーキーを噛むので

完は興味深くて目が離せなかった。

小野「中畑、草餅ほとんど食べてないじゃない」

完「…あ」

祐輔「草餅苦手だった?」

完「いえ、好きです…けど、猫が気になって…」

小野「草餅食べられないほど気になる?w」

完「うん、ちょっと食べるの忘れてた…」

完はゆっくりと食べかけの草餅を食べ始めた。

ひとくち含んでは、噛みながら猫を眺める。

猫をつまみに茶を飲んでいる完だった。

【夕刻 某県郊外住宅地 中畑家 ダイニング】

完「ただいま」

和「おかえり~、外は暑かったでしょ」

和がキッチンから出てきて、完に冷たい麦茶を差し出す。

完「ありがと…了は?」

和「部屋で勉強してたわ」

完「そう」

夏休み終盤。

休み明けには、一学期の総復習テストが待っている。

もちろんこのテストの結果も、二学期の成績に響く。

だが、

完(3年の一学期の復習なんて飽きちゃった…)

2年の頃はまだ良かった。

3年次の教科書で暇つぶしができたのだから。

3年の夏休みの今、3年次の予習は全て済んでいる。

今の完の暇つぶしは玲央医大の過去問しかない。

教科も限られる上に、授業中に使うと目立つ。

完「お母さん、麦茶ちょうだい」

和「もう持ってるじゃないの」

完「了に差し入れに行くから」

和「あら、じゃあもう一杯入れるわね」

夕食までには、まだ少し時間がある。

完は二人分の麦茶を両手に持って、階段をのぼった。

【中畑家 2F 了の自室】

完(…しまった、どうやってノックしようかな)

両手が麦茶でふさがっている。

ドアの前で、ごく基本的なことで困っている兄だった。

仕方がないのでクチを使うことにした。

完「了、麦茶持ってきたから開けてくれる?」

了「ありがとう~、今開けるね」

了が部屋のドアを開けると、完は了の部屋に入る。

そして、了の机の上にふたりぶんの麦茶を置いた。

了「はあ…」

完「どうしたの?」

了「生徒の自主性を尊重って、先生の手抜きだよねー…」

完「いきなりどうしたの?」

了「うちの高校、夏休みの宿題無いじゃん」

完「ないね」

了「でもそのかわりに二学期のはじめに総テストでしょ」

完「そうだね」

了「宿題でも出してくれたほうがマシだよ…」

完「同じことなんじゃないの?」

了「同じじゃなーい!」

了は麦茶を飲んで、ベッドに転がった。

だだをこねるように左右に転がりながら続ける。

了「中学までの夏休みは宿題さえやっとけば無罪放免だったもーん!」

完「無罪って…夏休みの僕たちは罪人なの?」

了「休み明けにテストが待ってる夏休みなんてバーカバーカ!うわーん!」

完「あの…復習うまくいかないの…?」

ベッドで転がり続ける弟。

その弟が腰掛けていた椅子に腰掛けた兄は、

机の上の懐かしすぎる物体に目をやっていた。

2年次の教科書や問題集、ノート。

了はと言えば、

了「うまくいってないわけじゃないけど、そもそもうちの高校の夏休みに異議ありー!」

と、生徒の一存ではどうしようもないことを

ひたすら吐き捨てているのだった。

が、そんな愚痴も

和「ごはんよ~」

了「はーい!」

母の、このひとことでさっぱり片づいてしまう。

完はそんな了が少しうらやましかった。

了は了で、完の成績を盛大にうらやんでいたわけだが。

【中畑家 1F ダイニング】

和「きょうは!なんと!な、な、なぁんと」

和がもったいぶっている。

了「なぁんと!」

完「なーんと…?」

和「お寿司でーす☆」

じゃーん☆と言いながら、和はテーブルに

ものの見事に寿司詰めにされた盆を置いた。

了「お寿司お寿司!」

完「お寿司!」

和「せーの」

3人「いただきまーす」

和「おいしいわぁ~」

完「……?」

完は食べながら、寿司の数を数えていた。

一種類につき4つ。これは「四人前」だ。

それには了も気づいていたようだった。

了「お父さんのぶんのイクラもーらい☆」

完「あっ…」

和「お父さんのぶんの中トロもーらい☆」

完「あ…」

和も了も思い思いに好きなネタを二人分取っていく。

完は心なしかあせった。

寿司1人前+父の分を平らげる自信がなかったのだ。

完「お…お父さんのぶんのたまご食べていい…?」

和・了「いいよー」

完「……………」

あせっている間に、「お父さんのぶん」は

たまご以外売り切れていたのだった。

【夜 中畑家 2F 完の自室】

風呂上がりに兄が自室に戻ると、そこには

まるで当たり前のように弟がいる。

しかも、ベッドで漫画を読みながらくつろいでいる。

了「あ、兄さんお帰り」

兄が部屋に入ってくると、弟は漫画を床に置いた。

完「…ねえ、」

了が寝そべっているシングルベッドに身を寄せた完は

完「…嫌じゃないの?」

ごくありふれた疑問をクチに出してみた。

了「…えーっと」

了は寄り添ってきた完をゆるく抱いて、

了「兄さんのほうが嫌そう」

完「えっ」

了「だから、オレは嫌じゃない…」

完「え?」

問題は一気に難解になってしまう。

完「…意味がわからないんだけど」

了「だって、」

互いの顔が見えなくなるほど弟に強く抱きしめられ、

兄は自分が兄か弟かわからなくなる。

了「いつも…ごめんねって、言いながら…だから」

完「だ、だって申し訳ないことしてるから」

了「兄さんがそう思ってくれてるから、いい」

完「よくないでしょ…謝ったって結局は…」

了「されるオレがいいって言ってるんだからいいのっ」

無理矢理に許される。

それは甘い罠のような、拷問のような仕打ち。

了「そ、それに…」

相変わらず互いの顔を見ることはできない。

了「そ、その…き……き、気持ちいい……から///////」

完「了////////////」

二人して今更照れるのだった。

了(実際気持ちよすぎてたまに落ち着かなくて、兄さんが寝たあと自分の部屋で一人でしてるとか言えない、絶対に言えない…!!)

弟は弟で、秘密をかかえていたのである。