それぞれのハートブレイク 矢野編
彼女とは高校時代に知り合った。
大学は別々だったが、近かったこともあり
つきあいは続いていた。
彼女は教育学部で教師を目指していた。
矢野は医大で医師を目指していた。
彼女が通っていたのは4年制の普通の大学である。
なので、矢野より先に彼女のほうが就職することになる。
やがて時は流れ、彼女は教師の道を歩き始めた。
矢野はといえば、まだ医師の卵。
ふたりは両親に内緒で同棲していた。
夕食を用意するのは最初は彼女の役目だったが
彼女が就職してからは矢野の役目になっていた。
__「ただいまー」
矢野「おかえり」
__「もーやんなっちゃったよやること多くて~」
やることが多いのは矢野も同じである。
医大生として、実習、レポート、その合間に家事。
__「矢野くんはいいよね学生気分でさ~
こっちは責任ある立場だからうっかりできないし」
矢野「大変だね…」
彼女の愚痴は日ごとに多くなっていった。
そのときには決まって「学生の矢野くんはいいよね」と
社会人である自分のつらさをとうとうと語るのである。
矢野は彼女に対して疲れを感じ始めていた。
愚痴マシンと化した彼女に性欲もわかない。
矢野は気づいた。
自分は誰かを支えるのではなく、
誰かに支えられて生きていきたいのだ、と。
それには自分と同等の立場の人間と
関係を結ぶ必要があった。
医大を卒業すれば、矢野は大学院に進む。
その間もこの愚痴を聞かされるとあっては
たまったものではなかった。
矢野は心を決めた。
__「はー疲れた~」
「お仕事」から帰ってきた彼女に、
矢野はコンビニで買った弁当を差し出した。
__「ちょっとーひどくない?」
矢野「オレも疲れてるし」
__「学生さんが何言ってんの?」
矢野「そういうところに疲れたんだよ」
__「はあ?」
社会人だからって威張らないでほしいよ」
__「別に威張ってなんか…あ、ひょっとして嫉妬?」
矢野「してないよ。どっちが嫉妬だって?
学生さんはいいね~っていつも言ってるのは何?」
__「何よ…怒ってんの?生意気に」
矢野「ひとこと多いよ。オレは生意気なんかじゃない。
日々急がしい医大生だよ。本当は夕飯作る時間も
惜しいよ。もっと言ったらこの時間に帰ってきてる
時点でみんなから遅れとってるよ」
__「…うそ」
最後のセリフははったり半分だったが、事実でもあった。
矢野「もう__には愛想が尽きた。オレはここを出ていく」
__「ちょっ…ねえ、待ってよ…」
矢野「待たない。いつもの愚痴も聞きあきた。
そんなに学生に戻りたいならオレのところにでも
来ればいいんじゃない?」
すでに教師として身をたてている彼女にそれは無謀というものだった。
矢野はすでに荷造りをすませていた。
矢野「残ってるのは捨てていいから。じゃ」
玄関を出ていこうとする矢野に彼女が泣きつく。
__「ごめんなさい!愚痴ばっか言ってごめん!」
矢野「こっちこそごめん。もう耐えられないんだ」
過去にも愚痴っぽい彼女をいさめたことが何度かあった。
だが、彼女は聞き流した。
矢野が愛想を尽かすのも時間の問題だったのである。
矢野「じゃあ__先生、お元気で」
__「やだ!行かないで!」
矢野「最近の小学生はそんなにききわけないの?
__先生も大変だね」
矢野は精一杯の嫌味を言い、彼女を振り払った。
矢野「がんばってね、__先生。
オレまだ学生だから、先生のことはよくわからないけど
大変だってのだけはわかったよ」
__「本当に行っちゃうの?」
矢野「うん。もうつき合っていられないから」
彼女は力なくうなだれた。
矢野「大丈夫だって。
オレなんかよりもっと甲斐性のあるやついるから」
矢野は彼女の肩にぽん、と手を置いた。
矢野「ただ、オレの心が狭かっただけだから」
それは彼女を傷つけないための大ウソだった。
矢野「じゃ、お元気で」
矢野が部屋から出ていく。
彼女は力なく部屋に座り込み、やがて泣き出した。
社会に出たとはいえ、彼女のほうが子供だったのである。
(数年後 国際医療福祉機関礼英 第一食堂)
二宮「それにしても矢野の元カノって馬鹿だよなー」
矢野「馬鹿言うなよ、それとつきあってたオレも馬鹿みたいじゃん」
二宮「だって彼女が就職して豹変するとは思ってなかっただろ?」
矢野「まあな…あそこまでひどいとは思わなかった」
二宮「うまくいけば医師と結婚できたかもしれないのになー」
矢野「結婚したらしたで豹変されたら嫌だよオレ」
二宮「女って怖いよなー」
矢野「怖い怖い」
マウス「えー、何のお話ですかぁー?」
マウスとラットがトレイを持って寄ってきた。
二宮「おふたりさんみたいなかわいこちゃんと仕事できて
オレたちは幸せものだな~って話をね」
ラット「やだ~、お世辞~」
マウス「そんなこと言われても何も出ませんよ~?」
キャッキャウフフと笑いながら去っていく二人。
矢野「二宮…おまえ大物だよ…」
二宮「大物ってのは中畑みたいなのを言うんだろ」
矢野「あー今頃夏休みエンジョイしてんだろうなー」
二宮「あーセックスしてえ」
そこには、いつもの最終の空気が流れていた。