某医療機関での日常

現代医科学恋愛ファンタジーというわけのわからないジャンルの創作文置き場。 小説というカタチを成していないので読むのにいろいろと不親切。たまにR18。 初めての方は「世界観・登場人物紹介」カテゴリを一読の上でお読みください。

柏崎の苦悩

【サンクキングダムホテル11階 レストラン『ラ・パンセ』】

週末の夜。

仕事を終えた中畑完は、趣味の時間を過ごそうとしていた。

ホテルのレストランで独りでゆっくりディナーを取るのは、彼の趣味のひとつ。

窓際のテーブルの上には、小さな皮表紙の手帳。

もちろん、完の私物である。

そのテーブルに、ウェイターがやってきた。

注文した覚えのない、一見してワインが入っているように見えるグラスを

テーブルに置くと

ウェイター「あちらのお客様からです」

と、手で指した先には

柏崎「よお」

最終医科学研究所での同期同僚、柏崎の姿があった。

ウェイターは静かに会釈して、その場を立ち去る。

完「……何のつもり?僕、車で来てるんだからコレは困るよ」

柏崎「ああ、それ葡萄100%ジュース」

柏崎はそう言いながら、完の対面の椅子に腰掛けた。

完はあからさまに嫌悪の表情を浮かべる。

完「邪魔しないでくれない?これが僕の趣味なの知ってるでしょ?」

柏崎「知ってるけど、寂しい趣味だよなあ…男独りでディナーとか…」

完「何なの?僕の趣味にいちゃもんつけるために来たんですか?」

完の語調は静かだが、顔には嫌悪の色が浮かんだままだ。

完「だいたいなんで僕がここに来てるの知ってるの?親以外の誰にも言ってないし、いつもここっていうわけでもないんだけど」

柏崎「ああ、お前の車のあとつけてきた」

完の顔がさらに不快感で歪んだ。

完「…プライバシーの侵害だよ。僕がそのまま家に帰ったら、家にまで上がりこむつもりだったの?」

柏崎「いや、それならUターンして帰るわ」

完は次第に不快感を超越して軽い怒りを覚え始めていた。

ただでさえ、もうすでに趣味の時間を邪魔されているというのに

同性に尾行されたとあっては…

完「何なの?ホモなんですか?気色悪いので今後僕の半径2m以内に近寄らないでください」

柏崎「中畑ときにおちつけwオレはホモじゃねえよwwつーかそれパーソナルゾーン広すぎだからww」

完「男性のパーソナルゾーンは1~2mが標準です。即刻立ち去ってください」

完は気分を害すると、逆に言葉が丁寧になる。

父譲りの切れ長な瞳には、冷徹な怒りの色が帯び始めていた。

柏崎「なあ頼むよ…ちょっと聞いて欲しいことがあるんだ」

柏崎は、テーブルに両手をついて軽く頭を下げた。

完「………柏崎」

柏崎「はい」

完「今日の食事、君のおごりね」

柏崎「そのつもりで来ました」

完「僕がこうして趣味で食べる時はね、独りじゃないと駄目なんだ。誰かと一緒だと味覚に集中できない」

ウェイターがスープを二人前持って静かにやってきた。

ウェイター「本日のスープをお持ちしました」

二人の前に、クラムチャウダーで満たされた皿が置かれる。

完「あーあ…おいしそう………」

柏崎「なんでくっそ残念そうにおいしそうって言うんだよww」

完「こんなおいしそうなクラムチャウダーを柏崎の声に邪魔されながら飲まなきゃいけないなんて…」

柏崎「泣きたくなるようなこと言うなよ…中畑オレのこと嫌いなの?」

完「柏崎に限らず、趣味の時間を邪魔する人間は大嫌いだよ」

柏崎「すいません」

完「で?何?聞いて欲しいことって」

柏崎「中畑のオーラがとげとげしいので言い出せません」

完はクラムチャウダーをスプーンですくうと、

ことさらにゆっくり口に運び、その味を堪能した。

完「……んー…」

瞳を閉じて、頬杖をつき、少し考え込むような体勢になる完。

柏崎「え、まずいの?」

完「うるさいな…話しかけないでくれる?」

完の瞳がまた冷徹な光を帯びた。

それを見た柏崎は、半ば条件反射的にクチをつぐむ。

中畑完は、柏崎を含む同期4人の中で『怒らせると一番怖い』と言われている。

そう言われていることは、完本人は知らない。

完はおもむろに手元の手帳を開くと、ボールペンでなにやら書き始めた。

書き終えると、手帳を静かに閉じて柏崎でなくスープに向き直った。

柏崎「……何書いてたんだ?」

完「スープを飲んだ感想だよ」

柏崎「は!?」

完「ディナーは趣味だって言ったはずだけど。毎回こうして感想を書き留めてるよ」

柏崎「寂しい趣味とか言って悪かった。そこまできちんと趣味として確立しているとは…」

完「まあ僕は料理評論家でもなんでもないから、つたない感想だけどね」

柏崎「でも精神科医だろ?オレの話聞いてくれよ」

完「話の方向を強引にずらさないでくれる?スープが冷めるから嫌だよ」

柏崎「じゃあスープ飲みながらでいいから聞いてくれよ」

完「はあ………」

完は少し大きめなため息をついて、またスープをクチに運んだ。

完「…いいよ。勝手にしゃべれば?飲んでるから」

柏崎「ちゃ、ちゃんと聞いてくれるんだろうな…?」

完「不満ならもう帰ってください。邪魔です。それとも虐げられたいんですか?」

完はそれだけ言い放つと、静かにスープを飲み始めた。

柏崎は、完の自重しないボキャブラリーにおびえつつ、話しはじめた。

柏崎「…紺野さんのことなんだけどよ」

柏崎が言っているのは、最終に勤務する看護士『紺野 雪』のことである。

医師免許を持ちながら看護士として勤務し、

「医療の現場での完璧なサポート」を志す、非常に優秀な女性看護士。

にも関わらず癒し系で、最終の医師連中は彼女を密かに「天使」と呼んでいる。

完は無言でスープを飲んでいる。

柏崎「…結婚してるんかな?してないんかな?彼氏いるんかな?」

完「知らないよ」

完は短く返答し、またスープを飲み始める。

柏崎「知らないか……」

柏崎は、大きく落胆し…ようやくスープに手をつけ始めた。

少し冷め始めていたクラムチャウダーだが、普通に美味だ。

熱いうちにひとくち飲んでおけばよかったと、少し後悔した。

柏崎「なあ、紺野さんにそのへん訊いてくれねえか」

完「んぐっ………」

完の喉元を通過寸前だったスープが、通過せずその場でのたうった。

なんとかスープを飲み込んだ完だったが、味覚は台無しになってしまった。

柏崎「すまん、言うタイミングを見誤った」

完「…謝罪を要求するよ」

柏崎「だからすまんって言っただろ…申し訳ございませんでした」

完「もう少しで飲み終わるからちょっと待ってくれないかな…」

柏崎「わかりました」

完がスープをクチに運ぶペースは、さきほどまでと変わらない。

柏崎は急いでスープを片付けにかかった。

完「…柏崎…」

柏崎「ん?」

完「そうやってせわしなくカチャカチャ音を立てながら飲むのやめてくれない?品性を疑うよ」

完はすでにスープを完食していた。

柏崎「品性とか…だってオレこういう店滅多に入らないし」

完「食事のマナーくらい知らないの?」

柏崎「知ってるけど…オレがスープちんたら飲んでたら、中畑その間どうするつもりなんだよ」

完「夜景でも見てるよ」

実際、繁華街にあるサンクキングダムホテル11階からの眺めは、

なかなかに気分の良いものだった。

完がホテル最上階のレストランで食事を取る時に

必ずと言っていいほど窓際に座るのは、

食事とともに夜景を楽しむためだ。

完がゆっくりとスープを飲んでいる間に、柏崎は高速でスープを完食していた。

完「職場の食堂ならともかく……あと、僕にそんなわけのわからないこと頼まないでくれる?お断りするよ」

柏崎「そこをなんとか…!」

柏崎は両手を合わせて頭を下げて完に懇願した。

完「やめてくれないかな…他のお客さんに変な目で見られるじゃない。これじゃ本当に僕が柏崎を虐げているみたいだよ。誤解を招くような仕草しないでくれる?誰が見てるかわからないんだから」

実際、前菜を持って二人のテーブルに向かっていたウェイターが

何事か、と思いながら見ていたわけだが。

ウェイター「鴨ローストと人参のサラダ、オレンジ風味でございます」

ウェイターが料理を置き、軽く会釈してスープの皿を持って静かに去ってゆく。

完が料理にナイフとフォークを伸ばすと、柏崎もそれに続いた。

今度は、静かに。

ふたくちほど料理を味わうと、完は手帳を開いて感想を書き込んで静かに閉じる。

慣れた所作だった。

完「…そんなに気になるなら自分で訊けばいいでしょ」

柏崎「それができないから頼んでるんだよ…」

完「なんでできないのそのくらい」

柏崎「職場で女性に未婚かどうか訊くのって一応軽いセクハラに当たるの知ってるか?」

完「知ってるけど、左手の薬指見れば一発で分かるでしょそんなの」

柏崎「だから、紺野さんに限ってはわからないんだって…」

完が、またゆったりとした動作で料理をクチに運ぶ。

柏崎もそれに静かに従う。

そうするのが一番いいと判断したようだ。

完「…見たの?彼女の左手」

柏崎「指輪してなかった」

完「じゃあ未婚か、少なくとも独身なんでしょ」

柏崎「そうとは限らない」

完「…………ああ…そういうことね…」

紺野 雪。

最良の看護士であることにこだわりをもつ彼女は、

既婚であったとしても、職場には指輪をつけて来ないかもしれない。

それほどに彼女の看護士としての仕事は徹底している。

完「でも、だからってなんで僕が訊かなきゃいけないの?まさか勇気が出ないとかいうくだらない理由じゃないだろうね?」

柏崎「オレを勝手に腰抜け扱いすんなよ。理由ならちゃんとある」

完「ふぅん…?何?理由って」

柏崎「…最終の『ナースエンジェル同盟』を知ってるか?」

完「何それ…知らない。何かのアニメ?」

柏崎「し、知らないのか…」

柏崎が驚愕を隠せないでいる間に、完は葡萄ジュースにクチをつけた。

本来のコースに入っていないメニューにも関わらず、

彼は律儀に手帳を開き、感想を書き込む。

柏崎はその間、どうやって説明しようかと思案していた。

完「で…そのアニメみたいな同盟がどうかしたの?」

柏崎「分かりやすく言えば紺野さんファンクラブだ。最終の未婚かつ彼女がいない医師のうち、紺野さんに好意を寄せている奴らで構成されている」

完「なにそれ…意味はわかったけど、何人ぐらいいるの?」

柏崎「確実に10人以上いる」

完「そんなに?すごいね紺野さんも」

柏崎「同盟の存在すら知らないってことは、中畑は入ってないってことでいいんだよな?」

完「当たり前だよ。大体紺野さんは僕の恋愛対象の範疇外だから」

柏崎「何ィ!?」

完「声が大きいよ…僕のお気に入りの店なんだから本当にやめてくれない?今度何かしたら、僕もう本当に帰るからね?付き合っていられないよ」

柏崎「大変申し訳ございませんでした…」

完が前菜の最後のひとくちをクチに運び、柏崎もそれに習う。

完「僕が味覚障害起こしたら、治療費全額柏崎が持ってよね」

柏崎「このくらいで味覚障害ってどんだけ繊細なんだよ」

完「さっきの『何ィ!?』で料理の味が格段に落ちたよ。食事の席で怒鳴りつけるとか、精神的虐待の域だからね?今度やったら本当に半径2m外に隔離するからそのつもりで」

柏崎「おいおい…」

完「そ の つ も り で」

柏崎「…はい。誠に申し訳ございません」

完の食事中の動作は非常にゆったりとしていて、

柏崎から見るとことさらに優雅に見える。

葡萄ジュースにクチをつける所作さえ、落ち着いた気品に満ちていた。

完「…そうそう、この葡萄ジュース、おいしいよ」

柏崎「そ、そうか」

完「ここにはもう何度も来てるんだけど、今まで注文しなかったのは失敗だったかな」

柏崎「そんなにうまいの?」

完「まあ僕の主観だけどおいしいよ。濃厚なのに、後味がすっきりしてて」

柏崎「オレも頼めばよかったかな」

完「今からでも頼んだら?」

柏崎「……………ウェイター呼ぶときってどうすんの?」

完は静かに左手を挙げた。

程なくして、ウェイターがテーブルに歩み寄ってきた。

ウェイター「お待たせしました」

完「グレープジュースをひとつ」

ウェイター「かしこまりました」

ウェイターが軽く会釈して、静かに去っていく。

完「…こうするの」

柏崎「訊いてよかった…オレ『すいませーん』って大声で呼ぶとこだったよ…」

完「それは賢明な判断でございましたね」

完は怒りと呆れが2:8ぐらいで混ざった声で言い放った。

完「で…同盟に入ってると何なの?まさか『抜け駆け無用』とか中学生みたいなことやってるんじゃないだろうね?」

柏崎「そのまさかなんだよ…」

完「呆れた…いいトシした医者連中が何やってんだか…」

柏崎「オレも外科医だけど、外科医って嫌だよな…同盟に入ったら誓約書に署名捺印。同盟を脱退する時も、『今後は紺野さんに一切アプローチしません』って誓約書に署名捺印。もう…ね…」

完「仮に同盟の存在を知らないで紺野さんに接触しちゃったらどうなるの?」

柏崎「知らねぇよそんなの…先輩の前で『紺野さんっていいですよね』って言ったら資料室に引きずり込まれて即入会させられたんだよ…」

完「なにそれ怖い」

柏崎「怖いよなあ……その上同盟でオレ最年少だしよ……」

ウェイター「グレープジュースをお持ちしました」

完が開いた手で柏崎を指し示すと、

ウェイターは柏崎の手元にグレープジュースを置いて

軽く会釈して静かに去っていった。

柏崎「……あ、うまいわこれホント」

完「頼んでみてよかったね」

ほどなくして、またウェイターが現れる。

ウェイター「チキンと季節野菜のグリル、バルサミコとバジルソースがけと、テーブルロールでございます」

ウェイターは料理を二人の前に置き、済んだ前菜の皿を持って、

軽く会釈して静かに去っていく。

完はまたゆるやかな所作で料理をクチに運び、

音を立てずにナイフとフォークを皿に置いて、

手帳を開いて感想を書き込み、静かに閉じる。

一連の動作はごく自然かつ、上品だった。

柏崎「話ズレるんだけどよ」

完「何?」

柏崎「中畑ってどっかの貴族の出身なの?」

完「…いつの時代の話?僕は平民だよ。父は精神科医だった」

柏崎「いや…知ってるけどさ…」

完「質問は比喩的表現を避けて明確にしてくれない?」

柏崎「その上品さはどこで身につけたんだ?」

完「高校のテーブルマナー教室」

柏崎「え、そんなのあったの?」

完「あったよ。なかったの?」

柏崎「なかった」

完「そうなんだ…どこの高校でもやるんだと思ってたよ」

柏崎「私立?」

完「県立」

完が料理にナイフとフォークを伸ばす。

ゆるやかに、自然に、優雅かつ上品に。

柏崎は、そんな完の前で音を立てずに食事をすること自体に苦戦していた。

完の機嫌を損ねることだけは、なんとしても避けたかった。

完「それで…何?その意気地なし同盟のルールに縛られて動けないからって、同盟に入ってない僕にそんな失礼な頼みごと?」

柏崎「意気地なし同盟って…」

完「さっきも言ったけど、やだ。他あたって」

柏崎「頼むよ…お前しかいないんだから…」

完「…え?何それ。じゃあ僕以外の同期3人みんな同盟に入ってるの?」

柏崎「そうなんだよ……」

完「呆れた…もう、お昼は第3食堂で弟と食べようかなあ…」

柏崎「なんだよそのブラコン発言は…」

完「意気地なし同盟員3人に囲まれて食事するよりよっぽどマシだよ」

柏崎「だからその『意気地なし同盟』って言うのやめろよ…やめてくださいお願いします」

完が心底呆れたという表情で料理をクチに運ぶ。

テーブルロールをちぎり、バターナイフでバターをつけて、クチへ運ぶ。

ごくゆったりとした所作にも関わらず、食事は完のほうが進んでいた。

完がテーブルロールに手を伸ばしたのは、

メインディッシュを食べ終えた証である。

完「……大丈夫?ひょっとしてナイフとフォーク慣れてないの?」

柏崎「ニッポンは…お箸の文化ですからして…」

完「まあいいや…ゆっくり食べなよ。僕は外の景色でも見てるから」

柏崎「ん…」

柏崎が料理をほおばったまま頷くと、完は窓の外へと視線を移した。

週末の繁華街、眼下の道路は混み合い、自動車のテールランプの赤い光が

アスファルトを彩っている。

完はその光景が好きだった。

高層から見下ろす道路は、自動車という人工の蛍で埋め尽くされている。

柏崎「ごちそうさまでした」

完「この後デザート来るよ。その後に紅茶かコーヒー。僕はハーブティーにしたけど」

柏崎「そうなんだ…そうだよな」

フルコースにデザートがつくのは当たり前である。

完「柏崎は何にしたの?食後の飲み物」

柏崎「中畑と同じにしてくれって言ったから、ハーブティが来るんだろ」

完「ああ、そう」

柏崎「なあ…マジで頼むよ…」

完「…情技行く?言語で」

この『情技行く?言語で』という言い回しは、最終ではおなじみである。

『お前は言語中枢機能補助技術を施してもらったほうがいい』という意味で、

完が言いたいのは「同じことを何度も言わせるな」ということである。

柏崎「どうしてそんなに頑なに拒むんだよ…」

完「僕に『軽いセクハラ』させる気なの?それも紺野さんに」

柏崎「お前なら大丈夫だよ多分…」

完「根拠は?」

柏崎「人畜無害そうだから」

完「そうだね、僕も紺野さんに対しては人畜無害でありたいよ。セクハラなんてもってのほかだね」

柏崎「いや、中畑がさらっと訊けばセクハラくさくならないから!」

完「僕これでも男なんだけど?紺野さんから見たられっきとした異性ですが何か?」

柏崎「…中畑って紺野さんのことどう思ってんだ…?」

完「有能かつ柔和な女性看護士。最終で仕事する上での大切な仲間だよ」

柏崎「『仲間』…か……」

完「だからどんなに軽度でもセクハラはしたくありません。以上」

完がそう言い切ったところに、ウェイターがやってきた。

ウェイター「バニラアイスと苺のシャーベットでございます」

ウェイターは二人の前にデザートを置き、

済んだメインディッシュとパンの皿を持って、

軽く会釈して静かに去っていった。

完は苺のシャーベットとバニラアイスをゆっくりと一口ずつ味わい、

スプーンを置いてから手帳を開き、感想を書き込んで静かに閉じた。

柏崎もデザートを半ば機械的にクチに運んでいたが、

がっくりとうなだれていた。

完「…話はこれで終わり?」

柏崎「…ああ……終わったよ……何もかも」

完「やっと趣味に集中できるよ。もっとも、もうほとんど終わりだけど」

柏崎「…血も涙もない奴め……」

完「何とでも言えば?」

柏崎「怨んでやる…他の同期にも言いふらしてやる…」

完「あ、そう。いいよ別に。僕は第3食堂で弟とお昼食べるから好きにすれば?あと、アイス溶けるよ。早く食べないと」

柏崎「呪ってやる…」

柏崎は呪いの言葉を吐いてからアイスクリームをクチに運ぶ。

完は静かに席を立った。

完「…僕帰るね」

柏崎「え、ハーブティー来るんだろ?」

完「独りで飲めば?僕さっき言ったよね?食事中に暴言吐くなって」

柏崎「…怒鳴りつけるなとは言ったが暴言吐くなとは言ってない」

完「医者のクセに屁理屈こねて…。じゃあ付け加えておくよ。食事中に暴言を吐かないでください。どんなに音量が小さくても、それは味覚障害等の心身症を引き起こしかねない精神的虐待です。相手を僕に限らず、二度としないでください」

そこまで言ってから、完は椅子に腰掛けた。

完「わかりましたか?」

柏崎「わかったよ」

完「では、先ほどの僕に対する精神的虐待について謝罪をどうぞ」

柏崎「申し訳ありませんでしたよっ」

柏崎は、頼みをきいてもらえなかったことでふてくされていた。

完「…柏崎」

柏崎「あ?」

食べ終わったデザートの器から完の顔に視線を移した柏崎は凍りついた。

完の瞳は冷徹を超越した激しい怒りの炎を宿していた。

完「あんまり人を侮辱しないでもらえないかな…楽しみにしていた趣味の時間に割って入って劣悪なマナーで食事した挙句に下劣な相談事を持ちかけて、その上さっきの反省の色の全く見えない謝罪は何?」

完の声の音量は普通だったが、その台詞だけで柏崎は震え上がった。

柏崎「……………ごめん…なさい……」

柏崎は顔面蒼白で謝罪した。

どうしようもなく恐怖で凍りついたムードの席に、

ウェイターが遠慮がちにやってきた。

ウェイター「…カモミールティーでございます」

ウェイターは、努めて冷静にカモミールティーをテーブルに置き、

済んだデザートの皿を持って軽く会釈し、やや足早に立ち去った。

完はひと呼吸おいてから右手でカップ、左手でソーサーを持ち、

熱いカモミールティーにクチをつけた。

2、3回とゆっくりクチに含んで飲み下し、

カップとソーサーをテーブルに置き、手帳に手を載せて…目を伏せた。

柏崎「……書かないのか…?」

完「味がわからないんだよ。君のせいだ」

柏崎「すまん………大丈夫か?本当に全く味がしなくなったか?」

完「カモミールティーであることは判るよ。でも、他の店と比較してどうこうっていうところまで文章にできない。一時的に知能指数が著しく低下しているようだね、僕は。…誰かさんのせいで」

柏崎「すいません………」

完「…飲んだら?」

柏崎「…………」

柏崎も、完にならってカップとソーサーを持ってカモミールティーに口をつけた。

慣れない所作に恐怖感も相まって、味などわかるはずもなかった。

完「…まあ…頑張りなよ。紺野さんのこと好きなんでしょ?」

柏崎「…応援してくれるのか…?」

完「3人が3人とも好きなんじゃ、柏崎だけ応援するわけにもいかないけど」

柏崎「お…オレさ…こ、紺野さんと並んだら似合うかな…?」

完「それは…紺野さんが決めることなんじゃないの?」

柏崎「お前から見てどうよ…?」

完「んー……美女と野郎」

柏崎「それ言うなら野獣だろ」

完「野獣とまではいかないかな」

そんな会話を交わす頃には、完はいつもの穏やかな顔に戻っていた。

完は改めてもう一度カモミールティーを味わい、

今度は手帳を開いて感想を書き留め、静かに手帳を閉じた。

完「そういうことだから…散々頭下げてもらって申し訳ないけど、さっきの頼みは聞いてあげられない。ごめんね」

柏崎「いや、いいんだ…中畑がライバルじゃなくて助かった」

完「そういえば僕以外の同期は恋のライバルか…よく仲良くしていられるね」

柏崎「『ナースエンジェル同盟』は紺野さんに対する紳士協定だから…いわば仲間というか同志というかなんというか…」

完「はあ…頭痛い…」

柏崎「えっ、大丈夫か?」

完「それはこっちのセリフだよ…そのなんちゃら同盟おかしいよ。そんなんで大丈夫なの?完璧に膠着状態じゃない。紺野さんが仮に未婚で恋人もいないとしたら、逆に婚期逃しちゃうんじゃないの?」

柏崎「………………!!!!」

柏崎は、目から鱗が落ちたと言わんばかりにはっと表情を変えた。

柏崎「そうだよなあ、そうだよ…中畑の言うとおりだ」

完「ていうか僕に言われなくてもわかるでしょそのくらい…」

柏崎「お前以外同期全員同盟員なんだからわかんねぇよ」

完「………本当どうしようもない人たちなんだね…」

完は深くため息をついて、カモミールティーを飲み干した。

柏崎「オレ達は…紺野さんが一生懸命仕事してるの知ってるからさ…だから余計な迷惑かけたくないんだよ。でもお近づきになりたい。ジレンマなんだよ、全員」

完「重症だね、みんな」

柏崎「何の?」

双方のカップが空になっているのを確認すると、完は静かに席を立って、言った。

完「恋の病だよ」